荒川修作とマドリン・ギンズというアーティストを知ったのは、実は実務上のあれやこれやの延長で、そもそもこの年になるまで全く知りませんでした。現代美術にはあまりタッチしていなかったのでしゃーないのだけども、養老鉄道全通100周年とかあいトリの後継イベントで荒川修作+マドリン・ギンズの作品が展示されてるとかで、岐阜県の養老町に巨大なインスタレーションパークがあるというのを知り、コロナ禍の引きこもり解消がてら日帰り旅行に行って参りました。ついでに時間取って県美にも行くかね。
養老って初めて行くんですけど、養老鉄道というのが桑名~大垣間で出ていたのを始めて知りました。ひなびたローカル線で本数も少ないですが、名鉄蒲郡に比べれば全然過疎じゃないですよ(ひどい比較)。名鉄蒲郡線マジでいつなくなるかわからんくらい整備されてないからな……(一応令和7年まではなくならない方針のようですが……)。
名古屋~大垣が1時間の、30分の待ち時間を経て大垣~養老が20分。
養老駅から養老公園は徒歩10分くらいと割とすぐ側。駅前にはコンビニも喫茶店も何もなく、寂れ具合でいうと蒲郡よりなんもないです。まあ蒲郡も何もないけど。銀行も喫茶店も何もない。
でも駅はそこそこ綺麗で、無料Wi-Fiも入ってる休憩室もあるので、時間つぶしはそんなに困らないです。
休憩スペースではコーヒーとかお茶とか養老ソーダとかアイスクリームとか食べられますし、電車待ちの時間を潰すにはあまり困りませんでした。
で、肝心の養老天命反転地ですよ。
全く予備知識なしで行ったのですが、荒川修作というアーティストは、「死なない」をテーマに色々なインスタレーションアートを作っている方とのことで、いったいどんなものが出てくるのか楽しみでした。何でも結構怪我人が出る危ない施設ということだったのですが……。
雨の日に行くもんじゃないわ! いや、最初は降ってなかったんですけど、途中で猛烈に降り出しまして大変でした。
まずは建物の中に。
中は天井と床で鏡映対称になった迷路風。壁には荒川修作のスケッチが飾られており、急坂や鋭利な壁に隘路を縫って歩くと童心に返ったような感覚に。こういうところって子供めちゃくちゃ好きそうだけど、確かに走り回ったら怪我しそうだな。
もう一つの建物は小山の上に人工的に屹立する壁の迷路のようで、ナウシカの腐海を連想させた。建物の中には所々人工物が埋め込まれていて(建物も人工物なのだけども、トイレとかソファとかが埋め込まれている。トイレはマルセル・デュシャンオマージュなんだろうか。荒川修作はマルセル・デュシャンとも親交があったみたいだし)ポストアポカリプス的なモチーフなのかなと考えてしまった。そしてこの建物も人類の滅亡と友に、やがてこの中に埋もれたトイレやソファと共に埋もれていくだろうことを想定しているのかな、重層的な仕掛けなのかなあと思った。さりげない、死。
この建物を抜けると小山が連なっており、奥には立派な壁画と、そして万里の長城を模した小径が続いているのだが、これがかなり急で、しかも小山を登り終えたとたんに大粒の雨が! なお小山にはヒールを履いた女性が上ってきており、山に登るまでには一切のガイドも階段も手すりもない。ゆ、勇者過ぎる……。山は人工的な素材で(コンクリートなのか何なのかはよくわからん、建築物には無知です)とっかかりもなく、表面はでこぼこの特殊加工がされているが滑りやすそうに見える。雨が降ってきて引き返すことも考えたが、万里の長城(仮)を辿って奥の建物に行った方が休めると考えて上っていくことに。
はい浅はか。
道はでこぼこはしているものの階段は1箇所のみ、坂も結構急で休めそうなスペースはなく、雨に濡れ傘を差して汗だくになりながら壁画の上の建物に向かって上り続ける。一応両脇に壁はあるものの、その壁の上に(昇らないでねとは書いてあるモノの)普通に乗ろうと思えば昇れるし、階段はきついし、意外と長いしでマジで苦行でした。何か修行みたいだな、仙道で丹を練ってるみたいやなぁと思いながら長い長い道を辿っていき、壁画上のドームまで入って、やった! と思ったらですよ……。
道になってやがるの。
修行に休憩なんて必要ねぇんだってばかりに。お前は岡本太郎の座ることを拒否する椅子かよ! こんなに鑑賞者に対して試練を課すアートって岡本太郎の座ることを拒否する椅子くらいしか思いつかんわ!
ここで引き返すのも癪なので最後まで行きましたよええ。
結果。
修行を極め、不死者となった頂点は絶対の孤独でした。
そこに安らぎはなく、頂点を引き返す安楽な道もまた、存在しませんでした。結局来た道を引き返すしかなかったのです。
帰りは楽? いや、雨が降ってるの、忘れてませんかね。
実際、昇りの方が安全なんですよ。下りは滑ったらそのまま下にざーっと行きかねない急な坂の連続なのでかなり危ない。気を遣いながらゆっくり下りましたが、とてもキツかったです。階段を下りながらぼんやりと、人としての修行で極めた頂点は、結局山道=産道を下りてリセットされる輪廻転生の道のシミュレートだったんじゃないかなどと考えていました。小山から万里の長城に至る地面には、岐阜県の地名から中国の地名、そしてアラビア半島の地名? と思しき地名が書かれていたので、シルクロードを伝って錬金術の道程を辿っていく的なモチーフだったのかな、と勝手に想像しました。
雨でかなり疲労したのでじっくりは見られなかったのですが、死なないために、という荒川修作の思考は、アートを持って死を乗り越えるって言ったっていずれは死ぬんじゃん? と言ってるようにも見えて、予備知識や読み解きが足りないのかもしれないけども、自分のように次世代に残る何かを残せそうにないタイプの作家としては地味に引っかかり続ける棘のような作品だったかなと思います。
それはともかくとして、帰るぞっていう最後の最後の山を下るところで足を滑らせて捻挫したのはマジで「持ってない」わ。クソが。
ところで、こういうプチ旅行の移動時は、日常では最近なかなか読めなくなっている本の積ん読を解消する時間に充てるようにしています。今回は、2年単位で積んでいた木村幹「歴史認識はどう語られてきたか」を読了しました。途中までは読んでたんですけども、間に北村紗衣「批評の教室」を挟んでいたので、第5章がまるっと日本における慰安婦描写のある作品の評論にもなっているっていう構図にお得感を覚えるなどしました。知的満足度の高い一冊。
まだまだ積ん読本は多いし買っていないけど読みたい本はたくさんあるので、まずは積ん読から……。
買ってあるけどまだ読んでないんですよぉ~!
最近すっかりノンフィクションしか読まなくなりましたねぇ。横田増生は作家推しなので出たらとりあえずすぐ買う。